格差社会になるの?

格差社会になるという話がありますが・・・
今後このままの状態で行くと格差社会になるという話があります。(ネット・テレビでですが)
どういう意味での格差なのかなあと。
全く、家にも住めず、三食食べるものも、着るものも困り・・・と言う感じなのかなあ。
または、今は手軽に少し手を伸ばせば届く「ちょっと高級」に手が届かなくなりますよ・・・の意味かなあ。
視点をどこに持ってくるのか?で格差という意味が変わってきます。
現状でも、富裕層と一般(いわゆる)なんてどんどん差が空いてますし・・・(昔なら時代が変わるときに一旦リセットされる感覚がありますが、今の日本ではそんな時代が変わるような大きな出来事はないので、差は開いてきて当然かと考えたり)
どこのレベルでの格差なんだろうか?
教育に関しても、大昔は性別での問題やそれこそ学ぶ場が無いなどの思想的・物理的な問題があるのですが、今は学ぼうと思えば学べないということは無いと思うのですよね・・・環境的に。
なので、格差って、クラウン乗ってたけど、カローラにしか乗れないとか・・・A5和牛が交雑牛になったとか・・・
でも、生活は出来るんですよね。それなりに工夫さえすれば(まあそこまでの工夫もいらないんですけど)
なので、自分たちの位置から物事を見ているなかでは格差はそこまで感じないかも知れないなあとか。
サービスに関しても、格差社会に合わせて簡素化すれば良いだけでしょうし、セルフ化していけばそれで良いでしょうし・・・質が落ちてもそれをカバーする方法が今は多いので何とかなるかなあと。
それより、インフラを維持していけるのか?が気になると言いますか・・・
埼玉県の下水道の劣化にしてもそうですし、金銭的格差よりもそっちの部分での格差が出てきたりするのかも知れませんね。
まあ、私たち運送会社もインフラを担っている一部分なので、バラ積みバラ納品とか時間指定とか長時間の待機時間とか・・・そんな過剰なサービスさえ無くなれば、それなりの金額で出来るんでしょうけど、それが無くならない以上は、それなりの運賃になってくるでしょうけど・・・
まあ、格差社会で意地でも価格を落とすことが優先になってくると、私たちの過剰なサービスも減るので逆に良いのかなあ・・・などと(高齢の方も無理なく仕事出来ますし)
そんな事を考えている朝でした。